ゆっくり行動すること

早くできると、考えている速度で実行できるようになるのが良いが、早さに比重を置きすぎると早くできない時にフラストレーションが溜まりやすい

早くあることについて

メリット

  • 試行錯誤をたくさんできる
  • 余計な工程を減らしていることも多いので、試行のリソースも減らしやすい

    デメリット

  • 早さに重心を置くと、思考や試行が単調になる。
  • 早くできないことをするときに、モチベーションが下がりやすい
  • なんとなく考える時間が減っている(作業に時間がかかっている時、ぼんやりと考えていたりする)

ゆっくりすること

ゆっくりすることは、丁寧さにつながる。冗長になることもある。
丁寧さとはなんだろう。
ひとつは、自分の中にある様々な速度をチューニングすることにあると思う。
考えること、動くこと、感じること。それぞれに速度がある。

考えることだけ速度が上がると、行動や感覚が空回りする。考えることだけをしたいときはそれでいいし、考えながら何かをするときは別のことが疎かになる。必要なパラメータは時々刻々変わっていく。考えることに集中していたときに、妙に肩に力が入っていることに気がついた時、考える材料に感覚 を取り入れる。

絵を描くとき、手癖のままに描くことで退屈なえになることもあれば、描いたものが言葉の説明で完結できる退屈なものになってしまうこともある。そういうときは自分の中のパラメータの速度がズレて空回りを起こし、空回りが次の空回りを生む。
そんなときにはゆっくりすることで、いま自分が注目しているもの以外に意識を向けて、今のところを抜け出すきっかけを探すことができる。
早くあるためにはインプットやアウトプットの量に制限を掛ける必要がある。逆のゆっくりすることは視野を広げることになる。

忙しい時や焦ったときほど追い込まれて、無自覚に早くあろうとして、選択肢を狭めていってしまう。
その選択肢は必ずしも悪くないが、ほんの5秒程度でもゆっくりすれば、意外と視野を広げられるから、やばいときには深呼吸したり筋弛緩法使ったり、目を閉じてみたりしてもいいと思っている。

ゲームに挑む

最近よく、ゲームをする。
Elden RingとSlay the Spireをやっている。

勝ち方(敵の倒し方)がわからないとき、観察したり偶然だったりでうまくいく方法を見つけていく。
その方法の精度を上げたり別の方法を見つけて組み合わせたりして、勝ちパターンを作っていく。
勝ちパターンづくりがゲームの醍醐味だったりする。
それでも難しすぎるとやってらんねーよと投げ出すし、そんな中でも熱中してしまうゲームもある。

無理だとしか思えなかったことができるようになるのはとても気持ちいい。
正確には気持ちいいかもよくわからず、振り返ってみたらそう感じてたんだな思うことがある。
ゲーム配信などを見ていると、クリアしたときに雄叫びを上げたりと感情を大きく出す人が多くて、本当に気持ちよさそうに見える。

ひとりでガッツポーズすることもあるが、僕はその完成が少し弱いように思っていた。
でもゲーマーを見てみたり、自分の経験を振り返ってみると、「自覚的に挑む」ほど達成したときの高ぶりが大きくなっているように思う。心持ちとか態度とかの問題なのかもしれない。

何かを欲して夢中になるのは楽しい。その始まりは自分で作る。それでこそ楽しい。

ゲームは楽しい。

朝、早く起きられたらいいよね

生活リズムが乱れ、日が昇ってから眠り、お昼を過ぎてから目覚める生活をしていた。
その流れから今日は一転、夜に少しだけ眠り、朝から起きている。
早朝から散歩までした。その後少し勉強をしてからダラダラとゲームに興じた。

いつもと変わらない自堕落な生活。
同じようなことをしていても、満足感を感じるから不思議だ。
さらに、自分のためになりそうなことに対してやる気も出る。ブログまで書いてしまっている。


朝起きて、散歩をしただけのこと。
小さなことが、大きく影響している。もはや小さなことではないのかもしれない。

早起きと散歩を続けたいけど、なかなか続けられないから難しい。
夜早く寝たくなって、朝起きたくなればいいんだけれど。

夜は夜で、やっていることを延々と続けたくなってしまう。朝にやってもいいのにね。
ちょっと何かを試してみよう。
午前中は楽しいことをする時間にする、というルールを作って、記録してみることから。夜の行動は何かに追われている感じがあるけれど、朝の行動はあまりそれないから、良い時間を過ごすのに向いているだろうから。

うんこをもらした

ゲームをしていた。
途中、便意があったが、大丈夫そうだと思ってキュッと抑えた。
あとでトイレに行き、パンツへの上陸を確認した。

うんこをもらした。

「あーあ、でもそうだよね」
肌の感覚からなんとなくわかっていたが、確認するまでは認めていなかった。
ときにはパンツに色はついていなくて、何か透明の液体がついたシミで済んでいるときもある。それを期待したのだが外れてしまった。

どこからが、漏れたことになるのだろう。
透明の液体がついただけでもだろうか。
少しでも実体が布と出会いを果たしていたら、漏れているのだろうか。

丸々出ているわけでもないし、漏れていないことにしてもいいのではないかという考えがよぎる。そもそも丸々出たなら漏れたという言い方はしないだろうから、そんな言い訳はできないだろう。少しでも色がついていたら漏れているのだ。
言い訳もできなかったことが悔しいので、せめて透明のものが着いている状態は汗かもしれないし漏れていないことにしようと決めた。

もらした云々はわざわざ話題にすることでもないから、他人の事情が全くわからない。だからこそ恥ずかしさや情けなさがより強まるように思う。
うん、でも、自分で処理できてるなら別にいいじゃないか。自分の現象に自分で始末をつけられているのだ。

年老いたり病気になって、出てしまって自分で処理もできないときがいつか来るかもしれない。その時はとても落ち込むんだろうな。でも人間はそういうものなのだ。困ったことだ。
考えるのも悲しいし、そのことは未来の自分に任せた。

そんなことを考えながら、パンツを洗った。

UNDERTLEのグッズを買った。こだわりがよい

ファンゲーマージャパンという、ゲームのグッズ化をしている会社が、東京でポップアプストアを開いていた。グッズのひとつひとつに細かいこだわりがあって、ずっと眺めていたくなった。実際、1時間以上、滞在していた。

写真はUNDERTALEというゲームのグッズ。
フラウィというキャラクターのフィギュアと、UIをグッズ化した「みのがす/たたかう」ピンバッジセット。
この並びで置いたらドハマリした。うれしい。

このMERCYのピンバッジ、♥だけマットな質感で、それ以外は光沢がある。
パーツで分けて塗装してから、くっつけたんだろう。
よく見ると♥が斜めになっている。
意図したのかわからないけど、深読みしたくなる。
基本的にドット絵=水平垂直で構成された中に斜めのものが置かれる。その斜めの意味は?
水平垂直でできたものがゲームだとしたら、それから外れるものはゲームではない=プレイヤーなんじゃないか。

横から見てみると、ハート部分だけ他より飛び出していて、2Dから抜け出しているようにも見えてくる。

ひとつのグッズにそんな意味を込めてこだわるかとも思う。
でもここの商品には、商品自体にもパッケージにも実際手に取らないと気が付かない、気づくとうれしいこだわりがたくさんなされていた。それなら間違っていても深読みしたくなる。

きっと作り手もファンなんじゃないかなー。
グッズを通してファン同士で語り合うような体験ができるとは思ってなかった。